転倒して骨折する直前まで、年齢なりの認知機能の衰えはあったものの、頭もかなりしっかりしていて元気だった父。
前日に電話で話した時はいつも通りの父で、「明日、一時頃行くね」と話した後、翌朝までの間に転倒してしまったようで、鎖骨を骨折していた。
その後、救急搬送で入院したら、コロナ禍で面会できず、入院しているうちに急激に衰弱し、あっというまに寝たきりになってしまった。
救急病院での治療が終わり、転院・もしくは介護施設に移動しなければならない時期になった時、何が父にとってベストな選択なのか、非常に悩んだ。父の身体の状態としては医療療養型病棟に入るべき状態なのだが、コロナ禍ということもあり病院は面会制限でほぼ対面することはできなくなってしまう。
そのほかの選択肢としては、重度な医療ケアでも受け入れ可能な介護付き有料老人ホームに入居することになるのだが、看護師24時間常駐・痰の吸引2時間おき、IVHカテーテルでの栄養補給、という条件で受け入れてくれるホームはものすごく少なく、かつ高額なため、父の預貯金でどのくらいの期間支払えるのか、その後どうやって支払っていけるのか等お金の計算もせざるをえず、父の命とお金と真摯に向き合った。
結果、父の稼いで残したお金は父に使い切ってもらおうと決意し、かなり予算を上回るが私達のアクセスもよく施設の方々も前向きに対応してくださるところにご縁をいただき、入居することになった。いざ預貯金がなくなったら、不動産を売却してお金を作ればよいと思うに至るまでは時間を要したが、不動産業を営んでいるので売却についてのハードルは低かったのかもしれない。
それまでに、施設の見学は6か所行った。施設の仲介業者さんの的確なアドバイスもありがたかったし「大変だと思うけど、できるだけ見学は多く足を運んだほうがいい」と言われ、炎天下の中たくさんの施設を見学するのはなかなか大変でもあったけど、見学しなければわからないこともたくさんあったので、足を運んで本当によかったと思う。
父の身体の状態で受け入れてくれることは大前提だが「面会制限のないこと。個室内にて面会できること」が私の希望条件で、それを満たしてくれるところが受け入れてくれると回答いただくまで約3週間、毎日祈る気持ちで過ごし、結果入居できて心からありがたいと思った。
結局、入居してから3か月で父は永眠したのだが、それまでの日々、毎日父のところに行き数時間一緒に過ごし、話ししたりマッサージしたりして、意思疎通できる時もあればできないときもあり、父の様子にショックで一人泣いたり、お互いにありがとうと言い合って号泣してしまったり、看護師さんやスタッフの方々の温かい言葉や対応に涙したり、毎日泣かない日はないくらい、濃密な時間だった。
毎日行く、というのは、どんなに近くてもなかなか大変なことでもあるけど、父を主軸に生活を変えたのでさほど苦なくできたことでもあるが、施設の方は「毎日来ている人は居ない、ご家族の熱意に感動する」と口々に言ってくださり、本当に真摯に、父にもとても温かく接してくださった。
施設のことは、また別の機会に書きたいと思うが、「毎日父のところに通った三か月」は、私の宝物の時間となった。
振り返ると、トータルすれば父のことをとても考えて介護していたけど、あえて厳しく接し、父には自立してもらっていたし、常に優しい言葉かけをしていたわけでもなく、もっと優しくしてあげたらよかった、もっと頻繁にいろんなところに連れて行ってあげればよかったと後悔ばかりが残るが、「三か月毎日最期の日々を一緒に過ごした。お風呂にも一緒に入れた」ということが、私にとっての唯一の救いともなった。
介護や看取りとは、生きることと死ぬこと、身体と命と向き合うこと。
そして、死にゆく人の身体というものを目の当たりにし、自分がこれからたどるであろう自分の身体についてもとても考えさせられる時間だった。
看取りを終え、今はただその喪失感のさなかにいて愕然としているが、この時間を経たことで自分の中で大きく何かがかわったことだけは確実に実感しています。
父が命を通して教えてくれたことに感謝するとともに、冥福を祈るばかりです。
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