背中から教えられること

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背中から教えられること

ご縁あって、江ノ島大師の護摩行に参加初めてから15年ほど。

最初のきっかけは弟の病について、風水の師匠から「ご相談してみたらどうか」といわれ、藁をもすがる思いで父と二人で出かけたことだった。

父はまだ脳梗塞を起こす前で、78歳。歳を感じさせるけどエスカーを使いながら江ノ島の頂上にある江ノ島大師まで歩いて一緒に登った。お寺も階段がたくさんあるのに、自分の足で歩けたから、まだ元気だったよなぁ・・・とお寺の階段を昇降しながら思い出す。

父と弟のことを恵観先生にご相談にあがると、想った通りのお言葉をいただき御祈願をお願いし護摩木を30本書き、約2時間の護摩行に父と風水の師匠と三人で参加した。

父は無宗教者で理屈っぽく、仏教とはなにか、般若心経の意味はなにか?とかいつも理屈をこねまわして目に見えない神仏を信じない人なのに、恵観先生のお言葉は素直に聴き2時間の護摩行も嫌がらす板の間に座って手を合わせていた。それだけでもびっくりしたものだが、終わった後「大僧正はすごい人だな。あの手、感動したよ」と言っていた。

それから2か月後、父は脳梗塞で倒れた。

ただでさえ弟の病でどうしたらよいのか絶望の淵にいた私にとって、更に父が脳梗塞・・・またまた藁をもすがる思いで江ノ島の護摩行の日に駆けつけ、恵観先生のご相談に伺った。

早く行ったつもりが、その日は急遽ご相談の時間が早く終わってしまって、私が着いたときにはもうご相談は終わって恵観先生は帰られるところだったが、お寺の方が「どうされたんですか?」と涙目になっている私に声をかけてくださり、父の脳梗塞の話をすると、先生を引き留めてくださり、私の話をしてくださった。ありがたい。。もう私は涙目で先生のお言葉を待っていたら「大丈夫ですよ。お父様はきっと回復される。私も一生懸命祈りますからあなたもよかったらこの後の護摩行に参加してお祈りしてください」とおっしゃった。

その場で大泣きしながら、護摩木を急いで書いて護摩行に参加した。

それから毎月の護摩業に参加するようになった。

月一回、江ノ島の山を登り護摩業に参加し、2-3時間の間板の間に座りお経や真言を唱えて祈るという時間が、その時の私の救いでもあり、藁をもすがる思いで護摩木を書き、月一の護摩に参加することがある意味生活の中心である日々が5-6年続いた。

父は、祈りのおかげ様でご加護もいただき、当初医師から「半身不随になる」と言われたのが、少しの麻痺で済み、なんとか一人暮らしを続けられる状態まで回復した。

入院からリハビリの病院の入院まで、本当にいろいろなご加護や人の温かさに支えられ、いろいろな難局を乗り越えることができた。

父の介護で忙しくなり、江ノ島大師には毎月は行けなくなり、一年に一度の年始の護摩業のみ参加するようになった。年に一度、恵観先生の護摩業をされる背中を見ては、襟を正される思いで、今年も一年しっかり祈ろう、と思う。御年を考えると、この荒行にいつまで体力的になさるのかな・・・と少しずつ小さくなられる背中を見てきゅんとする。

今年も護摩業に参加した際、約2時間半にわたる護摩業を終えた後、顔が火で真っ赤になった恵観先生の「自分の祈りが足りなかった。大難が小難に小難が無難になるようこれからもしっかり祈る」(能登の地震についてと思われます)というお言葉を聴いて、泣いてしまった。
こんなに一生懸命火の前で祈っているのに・・・・

それを聴いたら、自分達も自分達の場で、恵観先生の祈りの後押しを少しでもできるように祈らないといけないと背筋伸びる想いでした。

それからの日々、仏壇で、毎日読経と真言をするように日課として心掛けています。

日本が、災害が少なく、大難が小難に小難が無難になりますように。生きとし生けるものが健康で心穏やかに暮らせる国でありますように。

そう心から祈ります。

 

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