最近、渋谷に行く機会が増えたので、街を歩くと感じること。
それは、日本人の若者が多く、おしゃれな若者たちでにぎわっていること。今、渋谷はおそらく日本で一番若者が集いたい街なのだろうな・・と感じる。
だからこそ、若者に人気なお店やイベント等が行われて、更に若者が集まってくるのだろう。
一方、高田馬場はどうだろうか。
人は多いけれど、ほとんどが外国人。近年は日本語学校に通う欧米系の外国人も増えてはいるが、ほとんどが中国をはじめ東南アジアの若者が多い。
元々が、学生の多い街ということで、安くて量が多い系の飲食店等が多い街ではあったが、近年は中国人経営の中国人のためのお店やベトナム系、ミャンマー系のお店も多く、東南アジアな雰囲気を醸し出している。弊社が店を出した2010年から、ミャンマー系は多かったが、この14年で激増しているのが中国系・ベトナム系だ。
そう考えると、世の中の世情が反映されている街、ともいえるけれど、歩いている人は日本人よりはるかに外国籍の方が多いのを見ると、これからの日本の行く末というかを危惧する気持ちも強くなる。
私も留学経験があり外国人に慣れているところがあるけど、外国人は自己主張も強く、協調性が日本人のようにはない人が多いので、和をもって尊しとする、というのはない。
なので、日本人だったら「いいですよー」ということも外国人には通じなかったりするから、やりにくいなと感じることも多いのが現状。
なので、こんなに外国人が多い街なのに、「外国人はオーナーさんがNG」という物件が多いのも、一度トラブルに合ったことのあるオーナーさんは二度と外国人には貸したくない、と思うのも当然。
それだけ、ゴミ出しや騒音等も含めトラブルが多い、という事実があるからだ。
オーナー様としては「貸さない・人を選ぶ」ということでしか身を守れないともいえるので、それは仕方のないことだと思う。
グローバリズムやら差別ない社会とか、人権とか、いろんな観点があるし、私もヨーロッパに留学し、人種差別の対象として黄色人種ということも初めて意識したりしたので、差別ない社会は理想だし、そうあるべきとは思うけれど、そうばかりも言っていられないのが現状なのだということを、そして「お互いに協調し譲り合う精神」こそが大切でそれを当事者どうしがきちんと理解し譲歩しあうようにならなければ、トラブルはなくならないことを国も自治体も人権団体も理解し、「どうやったら協調していけるのか、お互いのことを理解しあい、尊重しあうようにはどうしたらいいのか」の啓もう活動こそしていかなければ外国人と共生はできないと思う今日この頃です。
これから、外国人と共生していかなければこの国が成り立たないのであれば、私達もどうしていけばいいのか、民間レベルでも考えていかなければいけないと感じています。
© 2021 VENTO・HOUSE